再びしゃがれた高音が聞こえてきた。
前野は、アマの美声を一瞬忘れてしまった気がした。
「は、はい。一応猫の水を捨てておきました。今テーブルに座っています。落ち着かないので、外で待とうかなと思うのですが」
「……それが、ディレクターが家の近くで怪しいワゴン車を見かけたらしいんです。週刊誌かもしれません」
「本当ですか?! では、どうすれば……」
前野は冷や汗をかいた。
「家の中までは入って来れないので、どうかそのまま居て下さい」
「わ、わかりました」
「あと、あり得ないと思うけどマチが帰ってきたら、私の部屋に隠れて下さい。利樹さんがいるダイニングの隣りが私の部屋です」
「は、はい。でも、マチさんは仕事ですよね?」
「マチ、時々忘れ物するんです。それと、私の部屋にある台本を取りに来る可能性もあるので、念のため押入れに入っといて下さい。何があっても押入れは覗かないというのが二人の決め事なんです。引越し前で中はがらんどうですから、お願いします」
「は、はい……」
「変な要求ばかりで、本当ごめんなさい。テーブルのみかんを是非食べて下さい。愛媛直産なのでおいしいですよ」
前野は終始頷くことしかできなかった。
そこまで勧められるならばと、みかんの皮を剥いた。
ほおばると頬骨の奥にツーンと痛みが走った。咀嚼すると濃厚な甘味が広がった。